2014年2月26日水曜日

磐城平九代記の津波の記録 読み解き完了

磐城平九代記の津波の記録の読み解き完了しました。

津波浦々へ打寄たる事

延宝五丁巳年と申ハ宝暦十三癸未年迄ハ拾七年ニ
成也 十月九日ノ夜五ツ時大津波寄 小名濱下神白
長崎四ツ倉汀濱江寄リ也 中ニと永崎浦ハ強キよせ
長崎ニテハ男女等共ニ八拾人余リ流死又其乃後元
禄九年子之六月廿七日昼八ツ時ヨリ大波立嵐強キ
四ツ倉迄濱之船破損して舟方浦々ニテ都合弐千
四百五拾人余り打果同七月まで海中より死
骸引揚ケ塚を築是ヲ千人塚とて四倉辺ニ立也

【現代語訳】
津波が浦々へ打ち寄せたこと
宝暦13年(西暦1763)の72年前、延宝5年(西暦1677年)10月9日の夜8時頃、小名浜、下神白、長崎、四ツ倉の海岸へ津波が押し寄た。
中でも、長崎海岸は強く押し寄せて、長崎では男女約80人が流されて死亡した。
また、そのあと、元禄9年(西暦1696年)6月27日昼2時頃から、大波が来て強い嵐になっって、四倉までの浜の船は破損した。
合計2,400人余り打ち果てて、船方がこの年の7月ごろまで、沿岸の海中から死骸を引き上げて、塚を作った。
この塚を千人塚と言って四倉のあたりにある。



考察
この文が書かれたのは、宝暦十三年頃。
延宝五年と元禄九年の津波の様子が記録されている。
磐城九代記に書かれている記録とは違う。


送信者 磐城平九代記の津波の記録
.あとは、ご自由に使ってやってください下さい。

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